想綴-SOUTEI

日常を通り過ぎた誰も気に留めない瞬間

このブログについて

じっとりと暑い2022年4月のある日、週間はてなブログで「純日記」なるワードを見つけた。

俺日記、あたし日記というコンテンツはインターネット普及期に爆発的に繁殖したものだと記憶しているんだけど、顔も知らない一般人の個人的な想いや愚痴がメインストリームになるわけもなく、ごく一握りの文才ある人間のブログを残していつの間にかSNSに取って代わられウェブの大海から姿を消したと記憶している。

ウェブ日記というコンテンツはもはやシーラカンスカブトガニのような生きる化石だと考えていた私にとって、突然目に飛び込んできた「純日記」と看板を掛け替えた日記コンテンツはどことなく哀愁を帯びた輝かしい過去の日々を連想させたのだ。

夏の暑い日に入ったレトロな喫茶店と冷えたコーヒーフロートのグラスを滴る水滴、じんわり温かいおしぼりの香りを連想させる。そんな言葉の響き。

blog.hatenablog.com

人生は恐ろしく短い。
つい最近まで自分は未来ある学生だと思っていたのに、あっという間に時の流れに押し流され私は一人の中年になってしまった。
等しく割り当てられた24時間をやりくりして、仕事をやっつけ家事をこなし「今」と格闘しながらどうにか生きている。なんだかわからないけど、やたら激流である。

限られた時間の中で才能を開花し華々しく活躍している人もいれば、私のようにぼんやり時の流れに身を任せて生きていたら世相の流れに溺れそうになっている人間もいる。

華々しく社会で活躍する人、メインストリームの激流を乗りこなしていく人の話題で世界は埋まっていて、激流に押しやられて溺れかけたり河岸に漂着した人の話題なんて誰も見向きもしない…と思っていたんだけど、純日記特集に取り上げられていた記事を読んでいくとなぜか止まらない。ハリウッド映画のようなピンチも爆発も大成功もないのに、淡々と綴られる日常の風景がとても心地いいのだ。2000年代の俺日記、あたし日記はとても内向的だったのに対し、ここで取り上げられていた記事は読む人をきちんと考えられた生活の記録なのが面白さにつながっているのだと思う。

振り返ってみれば単調だと思っていた自分の生活の中だって日々いろんな発見や想いが詰まっている。淡々と流れて行く時間の中でも、何かに心動かされた瞬間や思考が次々に展開した瞬間は1分1秒が無限に拡張されているような錯覚に陥ることもある。ボケもツッコミもオチもない淡々とした日記文学のようなブログも2022年という時代では面白い存在かもしれない。


前置きがとても長くなってしまったけれど、純日記に触発されたこのブログは海辺の街に暮らす名も無き「私」の生活の周りにあることを書いてみようと思う。毎日なんて書けないので週1回程度の更新を目標にして。