想綴-SOUTEI

日常を通り過ぎた誰も気に留めない瞬間

3.5.2022 子供の泣き声と初老の女性

駅ナカのスープ屋でポヨ子と遅めの昼食を取っていたら突然店内のどこかから小さな子供の喚き声が聞こえた。

声の方向に目を向けると、なんとか子供をあやそうとしている若い子育て夫婦のその横で、綺麗に刈り込まれた白髪の女性が眉間に皺を寄せていた。

横目でじろりじろりと子育て夫婦を睨みつけていた初老の女性は、数分後にスッと席を立ち店を後にした。

整えられたショートカットの白髪と軽やかな身のこなしはとても溌剌としていて、強い女性、媚びない女性というメディアが与えたテンプレートを背負って生きているような立ち振る舞いだったが、その場に居合わせた数人の客が彼女の行動に気づいたようで、不快な眼差しを彼女の背中に突き立てていた。非難混じりの視線の矢をその背中で弾き返しながら早足で去っていった女性を眺めながら僕の気分も少しだけささくれ立っていることに気づいた。

多くの人は育っていく過程で初老の女性は優しい物だと刷り込まれているからだろう。刷り込まれた初老女性の虚像と、目の前を通り過ぎた女性のギャップに戸惑っていたのだ。きっと。

子供の泣き叫ぶ声は確かに心地よい物ではないしどこまで許容できるかは人それぞれなので、あの初老の女性に落ち度があったというわけではない。きっと子供声が苦手だったんだ。

そもそも人間の生活には適度な距離感が必要なのだ。いつの間にか「そういうもんだ」で片付けられてきたけれど、群れや個人で対立し略奪と征服が本能に埋め込まれているヒトという動物にとって都市の生活は過密なのだ。

初老の女性が席を立った十数分後、僕はスープまみれのポヨ子の口元を紙ナプキンで拭き店を後にした。

この子が暮らす未来はもっとおおらかであって欲しいなぁ。